往々にして、事件というのはごく当たり前の日常の中で起こるものだ。
ごく当たり前の台所仕事の最中に包丁で指を切ったり。
ごく当たり前の通学路で交通事故に遭ったり。
ごく当たり前の茶封筒を開いたら宝くじの当選連絡であったりと――。
そうした日常の中で起きた特別な出来事こそが非日常の始まりであり、特別な『事件』として人々の記憶に残される。
その日、御一夜鉄道主任機関士である右田双鉄の身に起きた事件もまた、そうした例に漏れずごくごく平和な日常の延長として発生した。
事件の現場は彼の仕事場――蒸気機関車8620(はちろくにーまる)の運転台である。
九洲周遊客貨混合列車『ナインスターズ』――その大規模な構想の第一段階となる「蒸気機関車8620による御一夜鉄道の活性化」を目指した企画観光列車。
『バーベキュートレイン もくもく8620』。
そこで起きた、ほんの数秒の……しかし彼が土下座も厭わぬほど打ちひしがれた出来事が、そこから始まるしばらくの『非日常』への導入となったのであった。
※ ※ ※
事件が起きた当日――御一夜―湯医間を結ぶレールを走る8620の運転台では、機関士の双鉄をはじめ機関助士の日々姫とレイルロオドのハチロクという三人が乗務に当たっていた。
バーベキュートレインの最終便となる夕方運行は、午後の五時出発。車窓から見える夕日を楽しみながら食事を楽しむ片道一時間の行程だ。
秋を迎えてすっかり紅葉した田園風景の中を走る漆黒の機影は、遠くから見れば夕日の時間を終わらせるために現れた『夜のとばり』のようで、逆光に霞むその姿は重量のある蒸気機関車を地に足着かぬ幽世の存在ではと錯覚させるほどに幻想的だ。
だが、その秋らしい叙情的な姿とは裏腹に、8620の運転台では今日も元気に夏の暑さが猛威を振るっていた。
轟々と燃える火室を抱える蒸気機関車の運転台は、言うなれば地獄の窯の管理室だ。
機関士という機関車を統括する頭脳と、火室という石炭を喰らう胃袋が一つになった、二メートル四方に満たないごく狭い空間。
真夏にストーブを炊くよりも酷い暑さの中、双鉄と日々姫の乗務用ナッパ服は当たり前のように汗で汗を洗う有様だ。
もっとも、その暑さも裏を返せば8620が走るための火が正しく燃え盛っている証である。だからこそ、双鉄たちはへばるどころか肌を焼く熱から活力を得たかのように満ち満ちた顔で自分に与えられた役目をこなしていく。
「制限60――よし!」
同じように見えて区域ごとに違う制限速度に合わせて速度を調整し、
「ブロア!」
「了解。『ブロア』!」
登り勾配に差し掛かり、火室の石炭の燃焼に勢いが足りないと思えば酸素を送り込み、
「逆転機ミッドギア。加減弁――閉じ。絶気、よし」
勾配を終えた後、再び制限速度に合わせるために蒸気を絶って慣性に任せた惰行運転に切り替えたりと。
外から見れば優雅な列車走行も、その内側では秒単位での操作の連続だ。
細かな喚呼を欠かさぬ双鉄の操作の度に、シュッシュッという蒸気がシリンダから抜けるブラスト音がテンポよく発せられ、それが終わればボッボッと蒸気を煙突から排気するドラフト音が続く。
その上に、ガタンゴトンという、列車がレールの継ぎ目を越えていく音が重なり――。
シュッシュッ。
ボッボッ。
ガタンゴトン。
人々が汽車と言われて連想するそれらの音が淀みなく、全てが常以上に整っていた。
この後の『問題発生』の寸前までを切り取るならば、その日の運行はまさに絶好調だったと言えよう。
さらに言えば、
「制限、解除――よしっ!」
走る機関車の最前面で、まさに機関車の目となった双鉄が速度制限の解除を知らせる標識を確認すると同時に上げた喚呼の声は、正機関士として乗務を始めてまだ二ヶ月とは思えないほど堂に入ったもので、狭い運転台の端に設置されたレイルロオド用の小さな座席に座るハチロクが知らず満足のうなずきを返してしまったほどだ。
そして、制限解除と同時に8620は森の中へと突入する。
そこからしばらくは森を抜けるまでは踏切も信号も標識すら途切れる、機関士としてはボーナスステージのような区間である。
(うむ)
前方への注視だけは怠らないようにしながら、双鉄はわずかに生まれた余裕を利用して、そこまでの自分の操作を振り返る。
結論は、疑問を抱くまでもない好調子だ。その手応えは、普段表情が出にくいと義妹に呆れられる彼をして頬をゆるめてしまうほどである。
(悪くない。いや、これはいいな)
この二ヶ月、8620の乗務をこなしつつも、その感覚はまだまだ未熟で手さぐりに近いものがあった。幼い頃に一度だけ牧場で乗ったことがある馬に例えれば、鞍に跨っているのは自分であっても手綱を握って細かなコントロールをしてくれるのは牽引の飼育員さんであるという「お客様感」に近いものを感じていた。
蒸気機関車の場合、飼育員さんとは8620の全コントロールを把握するハチロクがそうであろう。
だが、今日の乗務は日頃の鍛錬が実を結んだかのように全てが上手くいっていた。
双鉄が操作を誤ればすぐさま修正を促してくるハチロクの声も、今日は一度も耳にしていない。
自分が8620という巨大な馬の手綱を握り、コントロールできている実感があった。
それは快感であり、同時に苦笑いの種でもある。
(嬉しいことだが……ようやく、と言うべきなのだろうな。本来ならば客を乗せた営業運転の開始前からこうであるべきなのだろう)
経験不足甚だしかった二ヶ月前の双鉄。
正機関士など一人もいなかった御一夜鉄道では、そんな彼が『ナインスターズ』計画の命運を賭けた8620運行の主任機関士を務め、満席の客車を牽かざるを得なかった。
サポートをしてくれるのがハチロクという極めて経験豊富なレイルロオドでなければ、双鉄は無事にこの二ヶ月後を迎えることはできなかっただろう。
(だが、一つの山は越えられたようだ)
毎週火曜日の運休日を除く、交代要員のいない六連勤の日々。
しかも土日は増発込みの一日三往復という過酷なスケジュールに鍛えられたものがついに結実したと確信できた。
(ならば『よし』だ)
うなずく双鉄の視界の中、無信号の森の鉄路を8620は一つの淀みも無く走り抜けていく。
『ナインスターズ』計画に賛同した銀行から融資を受けたことで、線路状態も以前の保線もままならなかった最悪なものから大きく改善されており、列車が受ける振動も最小限なものだ。
(……うむ!)
これこそ機関士冥利に尽きると、駆け出しの身ながらも上機嫌になってしまう。
しかし、そうして双鉄が満足感を得ている一方で、機関助士として火室に石炭を投げ込み続けている日々姫などは、義理の兄の几帳面な喚呼の声に感心しつつも苦笑いも浮かべざるを得ない。
(マニュアル通りも良かばってん……にぃにの不器用なとこば出てるみたいで複雑ばい)
思いつつも、石炭を放り込むワンスコ――1kg用投石スコップの動きは止めない。
安全第一の列車乗務で日々姫がそのように考えてしまったのは、現在彼女たちが運行しているのが非常にゆったりと鉄路を走る『バーベキュートレイン』だからだ。
駅から駅へ、移動の手段として利用される列車と違い、お客様に風景と食事を楽しんでいただく特別列車は、当然のように鈍足が喜ばれる。
先ほどまでも8620は制限を解除される前から制限60の区間を時速40キロの速度で走行しており、だからこそ双鉄の「制限解除」の声など何の意味も無い、言うなれば『喚呼のための喚呼』でしかなかった。
それでも双鉄が喚呼をおこなったのは、標識確認の喚呼の徹底をハチロクに叩き込まれているからに他ならない。
日々姫がチラリと覗き見れば、ハチロクの目はまっすぐに進行方向を注視している。どのようなトラブルがレールの上にあるかわらないと、臆病なほどに真剣なその眼差しは列車乗務に関わる者として見習わなければならないものだ。
そして、右田双鉄といえば与えられた役割を忠実に、十割どころか十二割の精度でこなす青年というのが大多数の者たちからの評価である。ハチロクと双鉄の性格が合わされば、この手抜きの無いマニュアル順守体制が出来上がることは必然だったと言えよう。
彼のそんな生真面目な性質は義妹から見ても呆れるほどで、過去のトラウマからそのような忠実性を得たと知っている彼女からすれば、
(レイルロオドでもなかけん。もーちょこっとゆるみよった方が可愛げもあろーもん)
というやきもきした感想を得てしまうものであったりもする。
無論、安全確認のための喚呼に文句をつけるなど言語道断なので、決して口にはしない。口にすれば、機関助士訓練の教官でもあるハチロクから猛烈な叱責を受けることが容易に想像できるからだ。
(まあ、にぃに――兄さんに限って乗務中に気がゆるむことなんてないんでしょうけど!)
ハチロク、ハチロク、ですものね!と日々姫は尖らせた口の中で拗ねたように反芻する。
こと8620の乗務に関して、双鉄がハチロクの教えを軽んじることは有り得ない。
機関士右田双鉄にとって、ハチロクこそが師であり、規範であり、マニュアルであり、絶対の正義だ。
故に、今日も双鉄は日々姫がもやもやするほどに律儀に業務をこなすであろう。
そう確信していた。
していたからこそ、その異変に日々姫は気づかなかった。
気づいたのは、やはり優れたセンサーを持つ運転体(うんてんボディ)のハチロクだ。
80センチに満たないサイズの中に探知系に特化した機能を搭載した彼女は、前方を注視したまま眉をピクリと震わせる。
そして一秒、二秒と彼女はタイミングを計った。
計られたのは他でもない、運転台の主を務める双鉄その人だ。
最後の喚呼の後、前方注視に力を注ぎながら当日業務を振り返っていた双鉄は、この好調子の要因探しに快いものを感じていた。
乗務に限らず、積み上げてきたものが形になった瞬間というのは嬉しいものだ。
ハチロクと出会った日に初めて経験した投炭訓練。
客車の煙害や8620本体の台枠交換――幾度ものトラブルに巻き込まれながらも繰り返した試験走行。
ついに辿り着いた『バーベキュートレイン』としての新生8620の正式乗務の日々。
そうしたものを、二ヶ月分。
それらの経験のおかげで生まれた操作やトラブルに対する慣れは、当初蒸気機関車という存在そのものにガチガチに緊張していた双鉄の心にも余裕を与えてくれた。
最初は暑いだけだった火室からの熱も。
最初は心を委縮させられたブラスト音やドラフト音も。
全ての要素が蒸気機関車の状態を知るための『声』なのだと理解した時、それらは不快なものから、大切な『鼓動』へと変化した。
異物が異物ではなくなっていったこの二ヶ月間。
非日常であった蒸気機関車乗務が、はっきりと日常となった感覚。
その感覚を味わいながら、森を走るレールを注視する双鉄は肩の力の抜けたやらかい息をついた。
ふう、と。
それは一瞬の気のゆるみだ。
だが、双鉄はわずかなそれを良しとした。
(まだ次の標識までは猶予がある)
今日の業務の流れは実に良いものだし、この二ヶ月間、路線に何か異常があったことは一度も無い。保線を担当してくれているボランティアの方々の仕事に、双鉄は感謝してもしきれない。素晴らしい仕事だ。
彼らの仕事を信じている。
そして何より、すぐ横で同じく注視を続けているハチロクの存在が、双鉄を安心させてくれた。
ハチロクによる目視の正確さは、双鉄の目視の比ではない。彼女が万全である以上、双鉄側の一瞬の気のゆるみなど、あって無きが如しだろう。
なので。
双鉄は、一つの深呼吸をするために、瞼を下ろした。
いまや快いとさえ感じる肌を照る熱が。
いまや快いとさえ感じる走行音が。
閉ざされた瞼の中で、双鉄に「一拍」を与える。
――――――――――――
――――――――――――
――――――――――――
―――――――――――と。
普段なら絶対に有り得ないそのゆるみが、ハチロクの言葉となって双鉄の耳を打った。
「制限60」
「ふぇ?」
「…………っ」
一気に『目が覚めた』。
淡々としたハチロクの声と、意表を突かれたような日々姫の声。それらに叩かれるようにして意識が目覚めると同時、双鉄は目視という最速の方法で状況を把握した。
そして、ゾッとした。
(飛んだ……!)
血の気が引いた。
運転台から見える湯医線の風景は、双鉄の脳にコンマ秒単位でデータベースとして蓄積されている。今や切り取った写真一枚を見せられれば走行位置を答えられるレベルだ。
その風景が、瞼を閉じる前と開けた後でたっぷり十秒分ほど飛んでいた。
そのことが示す事実に、双鉄は愕然としてハチロクの方へと顔を向けかけて――だがギリギリで堪えて前方注視を再開した。
結果としてそれが正しい行動だったのだろう。ハチロクが同じように顔を前に向けたまま言う。
「お話は本日の乗務終了後に」
「……うん。すまなかった」
やはり淡々としたハチロクの声。だからこそより彼女の怒りの深さを感じて、双鉄は自分の不甲斐なさに唇を噛む。
同時に『制限60の喚呼をハチロクがした』ことの意味に、一人の男として言わずにはいられない。
「……ありがとう」
それはレイルロオドの矜持と双鉄個人の矜持を秤にかけてくれた彼女への礼だ。後で謝罪と共に改めて礼を言わねば、と双鉄は乗務用に心を切り替える。
制限60の後に訪れたカーブを終えると、8620は森を抜ける。
木々に閉ざされていた視界が解放され、収穫が終わったばかりの広々とした田園風景が飛び込んでくるが、残念ながら双鉄はその田舎情緒溢れる美景を楽しむことはできなかった。
絶好調に浮かれていた先ほどまでとは、天国と地獄よりも酷い格差だ。
「え? え?」
一人だけ状況が理解できていない日々姫が戸惑いの声を上げていたが、フォローを入れる余裕すらなかった。
(くそ……っ。僕はなんて馬鹿なことを……!)
後悔先に立たず。
この日、双鉄は生まれて初めて乗務中に『居眠り』をやらかしたのである。
※ ※ ※
そして、その日の営業運行終了後。
「居眠り!? 双鉄くんがですか!?」
駅のホームに、ポーレットのすっとんきょうな叫びが響き渡った。
時刻はすでに夜の八時過ぎ。
双鉄のやらかしの後、湯医まで走った8620は折り返しの運行を大過無く乗り切り、今は御一夜温泉駅にその威容を収めていた。
本来ならばそのまま石造機関庫まで移動して一日の乗務を終了するところなのだが、今日はその前に双鉄の『反省会』が行われることになり、8620も駅に留められた。
当事者である8620にもそばにいてもらうべきというのが、ハチロクの言であった。
湯医から御一夜まで乗車した最後の客が去った今、ホームには声を上げたポーレットをはじめ御一夜鉄道の関係者しかいない。
改札業務を終えるなり合流したポーレット。
すでに機関庫にキハ07を移動させたれいな。
ハラハラと心配も露わな日々姫。
いつになく厳しい表情で仁王立ちする、整備体(せいびボディ)のハチロク。
その関係者の輪の中で、『やらかした』双鉄は彼の所有物であるレイルロオドに深く頭を下げていた。
直角に腰を折った双鉄を見遣るハチロクの瞳は驚くほどに冷ややかで、日々姫に事情を聞いたポーレットの上げた声が、否応なく双鉄に自分の『やらかし』の重大性を噛み締めさせる。
言い訳など、できるはずもない。
完全なる自分の非を認めて、双鉄はハチロクに謝罪の言葉を告げるしかなかった。
「すまなかった。僕は8620を……おまえの半身を預かる機関士として、あってはならない過ちを犯した」
「はい」
謝罪を受けるハチロクの声は短く温度に乏しい。それが失望の表れのような気がして、双鉄は直角よりもさらに深く頭を下げる。
「おまえに失望を抱かせたのはわかる。許してくれなど容易に言えることではないのは、機関士として日の浅い僕にもわかる」
求められているのがどんな言葉なのか。
謝罪ではないことくらい、双鉄にもわかっていた。それでも先に謝罪を口にしたのは、ハチロクへというよりも自分の気持ちの問題だ。
だから、改めて双鉄は口を開く。
それ故に、と。
「それ故に僕は誓おう」
まっすぐに地面を見つめ、そこにあるハチロクのブーツの先端に双鉄は言葉を落とした。そうすると、交換するかのようにハチロク声が双鉄の耳へと落ちてくる。
「何を誓っていただけるのでしょう?」
「このような失態は、二度と、犯さないと」
促す言葉に、万感の思いを込めて強く言葉を区切りながら言う。
「今回の失態は、おまえの教えを踏みにじる行為であったのはもちろん、お客様の命をも危険に晒す行為だった。そのことを思った時……正直ゾッとした。肝が冷えた」
あの時のゆるみを思いだす。
双鉄はレイルロオドであるハチロクが注視してくれるから安心と考えていた。
だが、もし双鉄が瞼を下ろした瞬間にハチロクが不意の機能不全に陥ったら?
数千、数万、数億分の一の確率であろうと、ゼロではない限りそうした可能性も存在することを何度も言い含められていたというのに、双鉄はあの瞬間そのことを失念してしまっていたのだ。
故にあの時、意識を取り戻した双鉄はゾッとした。
自分が、信じて託されていた多くの人々の命の手綱を、一瞬とはいえ確実に手離していたことを理解したからだ。
肝が冷えた。
目の前が真っ暗になりそうだった。
「恥を承知で言う。この誓いは機関士としての責任感よりも、己の失態への恐怖が故のものなのだ」
日の浅い機関士としての双鉄ではなく、これまで生きてきた双鉄が育んできた精神。
その精神が、自分の居眠りがもたらしたかもしれない大事故に、震えた。
ビビッた。
吐き気がした。
故に。
「しかし、それ故に、それだからこそ、僕がこの誓いを破ることは絶対にない。情けない話だが、僕はこの恐怖を二度とは……味わいたくはないのだ」
己の感情を吐き出すように、双鉄は言った。
レイルロオドがいようと、事故は起きる。どれほど優れたレイルロオドであろうと、それを扱う機関士が間違いを犯せばフォローしきれないことがあるからだ。
そのことを知識でわかっていたつもりだった双鉄は、今こそ生々しい実感を伴って、最後の言葉を紡ぐ。
「ハチロク。繰り返すが、二度はない。どうか、僕の誓いを受け取ってもらえないだろうか」
これ以上の言葉は蛇足となる。これでハチロクが許してくれなければ、双鉄は機関士として落第ということだ。
果たして。
頭を上げようとしない双鉄を見下ろしていたハチロクは、
「そうて――」
「ハチロク。にぃに……兄さんを許してやってよ」
タイミング悪く日々姫が口を挟み、ハチロクが何か言いかけた口を閉じた。
「あ」とポーレットが声を出し、日々姫も「しまった」と怯んだ顔をしたが、それでも彼女は続ける。
「兄さんが居眠りなんて、普通じゃないってハチロクだってわかるでしょ? ここ最近忙しかったから、疲れも溜まっていたんだと思うし」
予め用意していた言葉なのだろう。なめらかな標準語で日々姫は双鉄を擁護した。
だが、その擁護に否を唱えたのは他でもない双鉄本人だ。
「日々姫、違うのだ」
「にぃに!?」
日々姫が目を見開いて、下がったままの双鉄の後頭部を見る。まさか、そこから反論が出るとは思っていなかったのだろう。
「どぎゃん違うと?」
「僕のゆるみの原因は、疲労ではないということだ。もしそうならば、ハチロクはその誇りにかけて僕に謝罪する。現在の御一夜鉄道の運行計画……ダイアはハチロクたちが作ってくれたものだからだ」
「あ……」
淀みない双鉄の言に、日々姫は反射的にポーレットの方に視線を向ける。ダイアグラムの最終決定権を持つのは社長であるポーレットであり、自分の擁護が意識せずに彼女たちを批判するものになっていたと気づいたからだ。
「実際、現在の運転計画は厳しいことには厳しいが、度を過ぎてはいない。疲れはするが、次の日の乗務に支障が出ない程度。見事に負担をコントロールしたものだと、他ならぬ僕が保証しよう」
「だったら……」
「うむ。今回の非の全ては僕にある。原因は疲労ではないのだ。もっと悪質な――慣れという悪習に愚かにも身を委ねてしまったこと。レイルロオドという頼もしい存在をパートナーではなく保護者であると甘え……分担するのではなく任せきってしまったこと。その二つが、今回の失態の原因に他ならない」
双鉄は務めて冷静に自分の失態の根本を日々姫へと説明した。義妹に自分の恥を詳しく説明するというのは気の重い作業であったが、それを怠って日々姫とハチロクの間に不和が生じるのは避けなければならなかった。
結果、
「うう……わかったけん。ハチロク、ごめんね」
理解を得た日々姫は、口をつぐんで一歩下がる。
その姿を見遣り、他に発言する者がいないことを確認したのか、ハチロクは改めて双鉄に語りかけた。
「双鉄様。まずはどうか、お顔を上げてください」
「…………」
促され、双鉄は素直に頭を上げた。そしてすぐにその場に膝を折る。まだ許しを得てはいない今、双鉄がハチロクを見下ろすことはできない。
「にぃに、正座って……」
日々姫が呆れたようにこぼすが、双鉄は真剣だ。顔を上げつつもハチロクよりも低い位置に自分を置くには、誠意を示すには、正座以外に無いと考えていた。
そんな双鉄に、ハチロクはやはり感情の見えない冷たい様子のままに言う。
「それでは、少しお話をよろしいでしょうか?」
「ああ。なんでも言ってくれ」
覚悟を決めた双鉄の態度に、ハチロクは小さくうなずいて続けた。
「今回の居眠りの件、確かにあってはならないことではありますが、それだけの反省があれば、わたくしから言うことは何もございません。先ほどの誓いが未来永劫、双鉄様が機関士として歩む限り守られること、疑念を持つ余地ございません」
むしろ、と繋ぐ。
「むしろ、制限速度の影響を受けないバーベキュー列車のうちにその後悔を経験できたことは、双鉄様……ひいては御一夜鉄道にとって良いことだったのではないか、とわたくしは考えています」
「……なに?」
意外どころか『有り得ない』言葉を耳にし、双鉄は目を剥いた。
常日頃から臆病なほどに安全第一を徹底するハチロクだ。いくら事故に繋がらなかったとはいえ、試験運行ならぬ営業運行中の居眠りを肯定するような言動をするとは思わなかった。
その気持ちは周りの面々も同じらしく、一様に驚いた顔をしている。唯一の例外が、同じレイルロオドのれいなだ。
れいなはいつもぽやぽやとした笑顔を絶やさない彼女にしては珍しく、困った顔で眉根を寄せながら同意の声を漏らした。
「あ〜、そうですねぇ」
「れいなまで……どういうことだ?」
理解が追い付かない。
そう訴える双鉄に、ハチロクの表情はより厳しさを増す。それで双鉄は気がついた。双鉄が「失望させた」と思った冷たい表情は、これから語ることのために用意された表情だったのだと。
そうして、忌まわしきことを打ち明けるようにハチロクは言う。
「居眠りは、起こるのです。残念ながら」
「それは……僕に限らず、どの機関士でもということか?」
「はい」
これはレイルロオドの存在が生む問題ではあるのですが、と前置きでハチロクは説明を始めた。
「機関士とレイルロオドによるダブルチェック体制。列車乗務においてこれが基本であることは言うまでもありません」
「うむ」
「ですが、機関士は習熟の段階で知ってしまうのです。走行中の周辺情報の収集に関するレイルロオドの優位性を」
「それはまあ、比べるべくもない……な」
人間とレイルロオド。目視だけでなく共感も含めれば得られる情報はそれこそ倍どころか桁が違う。
しかし、その優位性こそが『精神的な癌』なのだとハチロクは続けた。
「自分の目視よりもレイルロオドに任せた方が正確だと、そう悟ってしまった新人機関士は目視を軽んじるようになります。目視自体を怠ることはなくとも、意識は散漫で緊張感にかけるものになるのです。双鉄様にも覚えがあるのではないでしょうか?」
「……うむ」
耳が痛い。
今回の件は、まさにその癌が表面化したことによる失態だ。これがもしレイルロオドよりも自分の方が目視に優れていたら、最悪でも同じ程度の目視能力であったなら、双鉄も気を抜くようなことはしなかっただろう。
要するに、
「新人機関士にとって、レイルロオドはいささか便利すぎるきらいがあるようなので」
「そうだな」
噛み締める。
与えられるものが正確過ぎて、自分の五感で得た情報がほんの微々たるものに感じてしまう。その結果、積極的に情報を得ようとしなくなってしまうのである。
これがベテランの機関士であれば、レイルロオドから提供される情報を『判断材料』として扱うこともできるだろう。だが、新人機関士にとってレイルロオドは師であり絶対のマニュアルだ。提供される情報は全てが正しく、従うべきものとなってしまう。
何十年分という経験の差。
子供と保護者。
よちよち歩きの新人がレイルロオドに甘えるようになってしまうのは、自明の理だ。
「戦時中、そうした新人機関士が、極めて平坦、極めて単調な区間において短時間の居眠りをしてしまうことが頻発したのです」
「戦時中……そうか、当時は徴兵の関係で女性機関士が大量に誕生したのだったな」
男性機関士が激減したがための女性機関士の大量導入。当然のことながら、彼女たちは頼もしい熟練のレイルロオドたちに指導を受けたわけで。
それにより生まれる依存的な精神状況の時に、双鉄と同じようにある程度機関車に『慣れ』てしまい……業務の場所であるはずの運転台を日常の延長にある『家』や『安全な場』であると勘違いして緊張の糸が切れてしまった時――何が起きたかは言うまでもない。
「幸いにも事故に繋がるようなことはありませんでしたが……清美機関士はこれを新人の通る麻疹(ハシカ)のようなもの、とおっしゃられていました」
「……麻疹か。言い得て妙だな」
要するに、誰もが一度はかかる病で、一度かかったら免疫が生まれて二度とかからない病といことだ。
いったいどれほどの新人機関士が双鉄と同じような苦い思いをし、二度とこのような失態は犯さないと血を吐いたのか。想像するだけで胸が痛くなる話であった。
「ですので、今回の件が予め想定されていたということ、制限速度の影響を受けないバーベキュー列車乗務中に起きたことがむしろ幸いであったこと、ご理解いただけたかと存じます」
そこまで語って、ハチロクはようやく相好を崩す。ある意味帝鉄時代の恥部を語るということで緊張していたのだろう。目に見えて肩の力が抜けたのがわかった。
そして、次に彼女の顔に浮かんだのは、これまでこらえていたに違いない少し意地悪な微笑みだ。
その微笑みの向けられる先はといえば、もちろん現在正座中の彼女の機関士の他にない。
「ふふ。それに、幸いなことはもう一つあります。本日は素晴らしい誓いを得ることができました」
「うん? ああ、僕は決してあの誓いを違えたりは――」
「わたくし、それこそ数限りない誓いを共感で耳にしましたが……双鉄様ほど見事な誓いをたてられた方は、二人とおりませんでしたもの」
「ぬ……っ」
それこそ戦前戦後、わたくしの知る限り、とハチロクは歌うように囁く。
確かに命を預かる使命感から誓いをたてる者は多けれど、双鉄のように自らの恐怖を叫んで誓う情けない機関士など、そうはいないに違いない。
本人の心そのものを担保にした誓いは、絶対に破られることはないだろう。
ふふっと含むようなハチロクの笑みは双鉄をからかうようで、だけれどどこか誇らしげなようでもあり、双鉄は不思議とこそばゆい気持ちになってしまう。
何故か、いたたまれない。
とても、いたたまれない。
「そ……そうか」
んんっと咳ばらいを一つして、双鉄はようやく両の足で立ち上がった。そうすれば、双鉄が上で、ハチロクが下。二人のいつもの位置関係が戻って来る。
そうして『反省会』が一段落したのを確認すると、周りの皆も問題が機関士コンビの決裂という大事に至らなくてホッと胸を撫で下ろした。
「みんなにも、迷惑をかけてすまなかった」
「いいえ! むしろ、わたしも勉強になりました!」
ハチロクちゃんの戦時中のお話とか、レアですから!とポーレットはやや興奮したように握った拳を上下させる。
「しかし、ポーレットが居眠りなど聞いたことはないが……」
「あ、わたしの場合は――」
と、ポーレットは双鉄にだけわかるように視線でれいなを示す。
なるほど、とそれで双鉄は理解した。改造の負荷で寝落ちがちなれいなとの乗務では、ポーレットに双鉄のような気のゆるみなどあるはずもない。
それは奇しくも、双鉄が先ほど考えた「レイルロオドの目視力が人間と同じ程度であれば機関士は自らの目視を軽んじない」という仮定に近い状況だ。
(レイルロオドの寝落ち……もし僕が同じ状況に陥ったなら、最初は混乱して運転などとてもではないができないだろうな)
突発的なアクシデントに弱い慌て者のポーレットのことだ。初見時には双鉄が想像するよりも酷い光景がそこにあったに違いない。
だが、現在のポーレットはれいなが寝落ちしている最中でもキハ07を的確に運転操作する。その手並は双鉄がポーレットの方こそレイルロオドではないかと目を見張ったほどの熟練具合だった。
それを思いだせば、本日の自分の思い上がりがいかに愚かなものであったのかがわかる。
「……そうだな。ポーレットを思えば、僕などまだ見習いも良いところであるのを忘れるところだった」
「え!? そ、そんな、わたしなんかまだまだですから……っ」
素直に言えば、ポーレットが頬を桜色に染めて謙遜してしまう。その奥ゆかしさは彼女の美徳でもあるが、格上と認める彼女に謙遜されてしまうと、双鉄の機関士レベルはより低く設定されてしまうので微妙な気分でもある。
(いや、それでいいのか)
自分など、鉄道の世界のほんの底辺。新参者にしか過ぎない。
少しでも早く栄誉ある8620という車両に見合う機関士にならねば、と双鉄はこれまでの全てを見ていたであろう漆黒の巨躯を見上げた。
「今回はおまえにも悪いことをしたな」
双鉄が掌を預けても、数十トンに及ぶ8620の車体は彼の体重程度ではピクリとも揺るがない。
その自分よりもずっと大きく頑丈な体を、双鉄は幼子を相手にするように丁寧に撫でさすった。
すまなかったな、と。
すると、
「まあ。双鉄様はその子ばかり贔屓なさって」
わざとらしく頬を膨らませたハチロクが、8620を撫でる双鉄の横にひょこっと入り込んでくる。
その意図は明白で、双鉄は空いている手ですみやかにその要請に応えた。
「そんなことはないさ。ハチロク……ありがとう」
今度は謝罪ではなく感謝の言葉でハチロクの頭を撫でる。
ハチロクはそれに何も言わずに目を細め、ただ双鉄の手の感触を頭で楽しんで微笑んだ。
それを見てポンと手を叩いたのは、『あの現場』にいた日々姫だ。
「そういえば……にぃに――兄さん、キャブでもハチロクにお礼を言っていましたけど、『ごめん』の間違いではないんですか?」
不思議そうに小首を傾げる。
そんな日々姫の疑問に、双鉄は隠すことでもないとハチロクに目配せをしてから自分の口で説明する。
「ハチロクはあの時、僕の名誉を守ろうとしてくれたのだ」
「名誉? って、どぎゃんことそれ?」
「あの時、ハチロクが喚呼をおこなったのは日々姫も気づいたな?」
「うん。びっくりしたばい」
当然のように双鉄が喚呼するだろうと思っていたところに、あの無感情極まりないお叱りモードのハチロクの喚呼の声だ。
「ハチロクが喚呼をしたということは、僕が居眠りしていたことに事前に気がついていたということだ。そうだな……日々姫なら、どのタイミングで僕の居眠りに気づく?」
「そりゃ、あそこで標識の喚呼ばなければ……あ〜!」
そこまで言って日々姫も理解した。
つまり、喚呼ができるということは、双鉄が喚呼できない状態であることを知っていたということ。イコールで、ハチロクが『双鉄の居眠りを確認しながらも起こさなかった』という驚きの事実に繋がるのだ。
「で、でも、それがどうして兄さんの名誉を守ることになるんですか?」
「うむ。単純な話だが、ハチロクは僕が標識の間までに目を醒ますというチャンスをくれたのだ」
「チャンス……ですか」
日々姫はハチロクを見るが、当の彼女は双鉄に撫でられるままで、日々姫たちの会話には無関心だ。その顔を見れば、彼女がこの件に関して自ら語るつもりがないのがわかる。
理由は日々姫にもなんとなく想像がついた。
それはレイルロオドにとって本来『許さなれないこと』だからだ。
なので、語り手は双鉄のまま続けられた。
「レイルロオドに起こされ叱責される恥よりも多少ましな……自ら目覚め、己の居眠りに猛省する恥。誰かに言われるのではなく己で悔悟憤発するチャンスを、あの時ハチロクは僕に与えてくれていたのだ」
それは反省の度合いにおいて最終的な違いはなくとも、恥や矜持といった精神的な面に対するダメージ量が大きく変わる分岐点だ。
双鉄の受けるダメージを少しでも減らそうという、ハチロクの心遣いが感じられる措置だったと言えるだろう。
だが、
「でもそれって……」
「うむ。だから、僕はハチロクに感謝せずにはいられぬのだ」
日々姫の呑み込んだ言葉を、双鉄も形にはしないまま感謝の結論へと繋げた。
双鉄が言語化を濁すのも当然なほど、それは公言をはばかられる事例だ。
ただ、言葉にはされずとも、双鉄の手はより優しくハチロクの頭を撫で、ハチロクもその手に身を任せている。
その光景が、日々姫から見える答えの全てだった。
要するに、危機回避のために即座に機関士を起こすのがレイルロオドの職務であろうに、ハチロクはその自らの矜持よりも双鉄の矜持を優先した行動をとったのだろうということ。
もちろん、先ほど言われた通り標識に実際的な影響のない区間だからこその妥協だったのだろうけど――。
その『安全』と『双鉄のため』のギリギリのラインを見極めたそれが、露骨なまでの『アピール』に感じられてしまい、日々姫は思わず唸ってしまう。
「……なんか、ずるか」
「なにが、でしょうか?」
その声に反応し、ハチロクがチラリと視線を向けてくる。
日々姫の義理の兄の大きな手に撫でられ、気持ち良さげに細めた目の間からの、そのあからさまな『チラリ』。
その態度のわざとらしさに、日々姫は少しむっとしてしまう。
(べ、別に羨ましくなんかなかけんっ)
まるで挑発するかのようなハチロクの視線に、日々姫は真っ向勝負とばかりに自らの目元を三角にした。
最近、なんというか業務を離れたこうした場において、ハチロクが『いかがです?』とばかりの態度を見せてくる機会が増えてきた気がする。
その傾向がいつからかと思い返せば双鉄を巡る例の『淑女協定』発足の日にまで遡るので、ある意味『らしい』と言えば『らしい』のであるが……。
むう、と唇を尖らせた日々姫は、そろそろ8620を機関庫に移動させないとと時刻を気にしているポーレットに耳打ちする。
「ポーレットさん、ポーレットさんっ。最近ハチロク、すっごく攻めてきてませんか?」
「あはは……。でも、別にそれってルール違反じゃありませんし。悔しかったら日々姫ちゃんも双鉄くんにアピールしないと……ね?」
「うぅ〜……そぎゃん言われてもぉ」
同盟参加者として同じ立場にいるポーレットからたしなめられ、日々姫は頭を抱えてしまう。
自分を誇ること、自分をよく見てもらおうと主張することは、日々姫にとって不得意分野の際たるものだ。
そんな日々姫の様子があまりにも不憫だったのか、ポーレットは「それなら」と両の掌を胸の前でポンと触れ合わせた。
「双鉄くん。今回の居眠りの件について、わたしからお話があるんですけど」
「ああ。確か従業員服務規定にあったな。乗務中の居眠りに関しては――」
「いえ、そうした罰則のお話ではなく、『提案』です。居眠り防止だけにとどまらない、双鉄くんの機関士としての全体的なレベルアップのために、御一夜鉄道全体で協力できることがあると思うんです」
「ほう?」
ポーレットからの申し出に双鉄はハチロクを撫でる手を止めた。
彼女が口にしたことは8620のためにも早期の成長を望む双鉄にとって、まさに渡りに船の内容だ。
同時に「御一夜鉄道全体」という言葉に、その場にいた全員の目がポーレットに集まる。社長であるポーレットが会社の名前を出しての提案をするのであれば、それは社命として従業員――ハチロクや日々姫にも従事義務が出てくる案件である。
そうやって皆の注目を集めた上で、ポーレットは教師然とした語り口調で言う。
「今回の居眠りには、双鉄くんの乗務への慣れからくる気のゆるみが要素として大きかったと思うんです。お客様の命を預かる鉄道従業員にとって、習熟はあっても慣れはあってはならない……そうですよね?」
「……うむ」
双鉄はもっともだとうなずく。
御一夜鉄道では毎日のように走行時間と同じかそれ以上の時間を車両の各部チェックに使っている。
そこに『慣れ』といういかにも『習熟』と混同しそうな要素が入り込んだ時に発生するチェックミスと、それを原因とする走行中の事故の可能性を思うと、背筋が寒くならざるを得ない。
「でも、双鉄くんは始めのうち『8620に慣れる』ことを第一に乗務していたように見えました。違いますか?」
「……違わないな」
よく見ているものだ、と双鉄はポーレットの観察眼に恐れ入る。
双鉄は当初、過去の事故のトラウマで8620の運転台に乗るだけで吐き気をもよおしていた。それが治まり始めたのは『バーベキュートレイン』として8620を走らせるようになった頃からだ。
自分の中で死の象徴、破滅の象徴であった鉄道が、『ナインスターズ』計画により再生への象徴、未来への希望の象徴へと切り替わった、あの頃。
修理やトラブル処理を通じて、自分たちの手で蘇らせたという愛着が、双鉄のトラウマを大いに和らげてくれた。
おかげで今では運転台こそが自分の居場所と認識する状態にまで達していたが、今回はそれが悪い方向に作用したことは間違いなかった。
ポーレットはそこを踏まえた上で、次のように語ってくれる。
「ですから、今度はその逆……鉄道業務で緊張感を保つために、乗務と非乗務の間にきっちり線引きをする――それを意識的に行うことが、双鉄くんには必要なんじゃないかって思っています」
これは他のみんなも同じですよ、とポーレットは全員を見回してそれぞれに視線を合わせていく。
それはいわゆる社長からの訓示であり、ハチロクとれいなは自分に視線が巡ってくるとビシッと綺麗な敬礼の形で了解の意を返した。
「おっと」
「わわっ」
一拍遅れて、双鉄と日々姫もレイルロオドたちに倣う。
うん、と微笑んだポーレットは、次にハチロクに尋ねた。
「それで具体的な提案の前に聞きたいんだけど、ハチロクちゃんの方から今回の件に対する対処法とか、言っておきたいこととかあるかな?」
「言っておきたいこと、ですか……」
話を振られたハチロクは、次回乗務時に言おうと思っていたことですが、と前置きを入れてから双鉄に向き直る。
「先ほど申し上げた通り居眠りは頻発していた事例ですので、有効な対処法が確立されています」
「おお、それはありがたい!」
思わず前のめりになる双鉄に、ハチロクは単純な方法ですと説明する。
「問題の発生した区間――今回の例ですと森の中のような、機関士の操作が極めて少なく意識が漫然となりやすい区域において、機関士が助士と投炭を交代するのです」
「ああ……! なるほど、それは確かに有効な手だな。身体を動かすことで意識を活性化させ、また助士に休憩時間を与えることにもなる。一石二鳥だ」
しかもその方法を実践するために新しく何かを学ぶ必要がないのが素晴らしい。導入した即日に最大の効果が得られる、まさに特効薬のような対処法だ。
それは目からウロコというか、コロンブスの卵というか、機関士と機関助士という『役割分担』で思考が固まってしまった双鉄には思いつかなかった帝鉄時代の知恵であった。
その驚きはポーレットも同じようで「あ〜」と何度もうなずく。こちらもまた、気動車という助士を必要としない単独運転が身についているため盲点だったらしい。
「うん、それ、いいと思います。じゃあ、双鉄くん、日々姫ちゃん、明日の乗務から」
「うむ」
「了解です。っていうか、それしてもらえると私すっごい楽になります」
むしろどぎゃんして今まで交代ばしてもらえなかったと?と日々姫が見れば、ハチロクは双鉄に見えない角度で彼女に向かって人差し指を唇の前に立てて見せる。
(これって……う〜!)
文句を言いたいが言えない、という理不尽さ。
ハチロクによる『機関士右田双鉄育成計画』とでもいうもののとばっちりを受け、しかしそれが双鉄及び御一夜鉄道にプラスになることであるのならば黙っているしかない。
「では、わたしからの具体的な提案に入ります」
ハチロクの発言で場に明るい空気が生まれたことに満足げにしながら、ポーレットは語りの主を自分に戻した。
「今のハチロクちゃんからの対処法は、ゆるんでいても引き締めるという実に有効なものです。ただ、わたしとしては双鉄くんにゆるむこと自体を避けてもらいたいと思っています」
「うむ。当然の要求だと思う」
「そこで、先ほども話した乗務と非乗務時の明確な区切りを明確にするための訓練――」
名付けて、
「双鉄くんのメリハリ学習週間を設けることを、ここに宣言します!」
「メリ?」
「ハリ?」
「とはなんでございましょう?」
腹に力の入った張りのあるポーレットの宣言に、双鉄が眉根を寄せ、日々姫が首を傾げ、ハチロクは目をパチクリさせる。
三者三様の疑問の形に、ポーレットはそこまでの落ち着いた態度はどこに行ったのか、両手を握り拳にして双鉄に一歩踏み出した。
「わたし、前から双鉄くんは休憩時間の使い方が下手だなって思ってたんです。それ、この機会に直しちゃいましょう!」
「き、休憩時間?」
「そうっ。休憩時間! 双鉄くん、乗務の後の休憩時間も何かしら仕事してたり勉強してたりするじゃないですか。あれ、絶対に乗務と非乗務が平坦な原因になってますよ!」
「う、うむ。そう言われれば……そうかもしれんな」
何やら鼻息の荒いポーレットの様子に気圧されながら、双鉄は自分の普段の休憩時間を振り返る。
例えば、直前の乗務で気づいた点をレポートにまとめたり。
例えば、次の計画会議の根回しのために知人要人に電話連絡を入れたり。
例えば、より鉄道に詳しくなろうと義祖父の部屋から持ち出した資料を読みふけったり。
言われてみれば『ナインスターズ』計画始動以来、運休日含めまともな休憩をとった覚えがない。
「休憩時間は休憩する時間なんです。書類をまとめる時間は別に用意されているんですから、しっかり休んで気持ちをOFF! 乗務時間になったら気持ちをON! そういうメリハリが大事なんですよ。わかりますか、双鉄くんっ!」
「大事か」
「大事です!」
力強く断言されてしまう。
しかし、双鉄に言わせればポーレットこそ仕事の合間に仕事をするような『THE仕事人間』なのであるが――。
「れいな」
その疑問を見越したように、ポーレットはこれまで黙って見守っていたれいなの方に手招きをする。
「はぁい。なんですかぁ、ポーレット?」
「うん。ちょっとね、双鉄くんにお手本」
「ふえ? だっこですかぁ?」
言うが早いか、ポーレットはぽてぽてと駆け寄ったれいなの身体を正面から抱き寄せた。
すっぽりと、まるでそこが指定席であるかのようにポーレットの胸に収まったれいながきゃっきゃっと歓声を上げると同時、ポーレットの方もまるくてやわらかくて温かいれいなの極上の抱き心地に癒されて「は〜」と気の抜けきった声を喉から漏らす。
それはどこから見ても完全な『ゆるみ』で、双鉄は示された手本におおっと目を丸くした。
「なるほど。れいながポーレットの『メリハリ』というわけだな」
その意味するところは、身体を休めるよりも心を休めることに主軸をおけということだ。
社長と市長の二足のワラジをはきながらもポーレットがどうにかやってこれたのは、れいなという精神的な癒し要素の存在が大きいということだろう。
ぎゅっとれいなを抱きしめながら、ポーレットはにっこりと双鉄に微笑みかける。
「はい。わたしにれいながいるように、双鉄くんにも双鉄くんにぴったりの癒し要素があると思うんです。でも、双鉄くんってさっきも言った通りそういうの下手かなって思うから――」
「メリハリ学習週間、というわけか」
「正解です」
ポーレットに花丸の笑顔が浮かび、その文字通り花の咲いたような明るさに双鉄は思わず目を奪われてしまう。
ああ、と。
(それを言うなら、この笑顔などは確かに……乗務のことなど忘れてしまいそうだ)
れいなを胸に抱くポーレットの姿は、我が子に寄りそう母親のようにやわらかい。れいなにだけ許されたその癒しの場から笑顔を向けられれば、あなたも一緒にどうですかと誘ってもらえたようで、心が温まる。
と。
「そ、それならわたしも! わたしも、兄さんの役に立ちますっ」
勢いよく挙手したのは、今回鉄道関係のことばかりでなかなか有意義な発言のできなかった日々姫だ。
彼女はポーレットの提案が自分への援護射撃であることを理解し、はいはい!と積極的に前に出る。
「休憩時間の過ごし方なら任せてください。何を隠そう、私は現役の学園生ですから! 例え五分しか休みが無くても、その五分できっちりリフレッシュする奥義を伝授してさしあげます!」
「奥義」
それはまた大きく出たなと双鉄は感心する。
双鉄が学園生の頃は、休み時間と言えば次の時間の準備予習をする時間でしかなかった。
その優等生ぶりが『そうであれ』と求められたことを忠実にこなす自分の習性だと理解している双鉄は、日々姫の言う『現役の学園生』というフレーズに強い興味を惹かれてしまう。
しかも奥義だ。
双鉄にだって無邪気だった子供時代はある。妹の路子とテレビのチャンネルを争っていた頃は、奥義といえば口に出して叫びたい単語ナンバーワンだった。
養子になって以来、娯楽関係の漫画やアニメからは離れて知識の更新が行われなかったこともあるのか、その『奥義』というフレーズは思いのほか双鉄の胸に『はまった』。
(なるほど、短くとも最大の関心を得る言葉選びは日々姫の得意分野だったな)
焼肉列車などという身も蓋もない名称になるところだった8620に『バーベキュートレイン』というポスター映えする名称を贈ってくれたのも日々姫である。
奥義というのは日々姫のセンスからすると違和感があるが、これは双鉄という人間を狙い撃ちする言葉選びといったところだろう。その辺りには彼女が培った看板・広告制作の経験が生きているのかもしれない。
なので、
「それは興味深いな。是非ご教授願いたいところだ」
「まかせるばい! ――あ、まかせてください!」
双鉄が願うと、日々姫は頬を秋らしい紅葉の色に染めて破顔した。教えを乞うのは双鉄の方だというのに、教師である日々姫側が喜色満面だ。
その様子は昔からの義妹の常のようで、だけれど、
「わたしが……兄さんに教えてあげますから!」
見上げてくる瞳の中にある淡い熱は、子犬のように後ろをついてきた幼い頃とは違う。
気づいて欲しいという消極的な『かまってほしい』が、気づかせてみせるという積極的な『かまってほしい』に切り替わったのも、もちろん『淑女協定』がきっかけだ。
(いや、僕が気づかなかっただけで、ずっと前から日々姫はそうだったのかもしれない)
少女は、双鉄の知らないうちに一歩大人へと足を踏み出しているのだ。
大人になれない双鉄などよりもずっと――。
が。
そのように双鉄が感慨深げにする前で、日々姫はおもむろにポーレットに向き直ると、二人して胸の高さで両手を剥き合わせてポンとタッチする。ハイタッチならぬミドルタッチといったところだ。
「やりましたね、日々姫ちゃん」
「ポーレットさん、感謝ばい〜!」
「うんうん」
「…………」
きゃっきゃっと花やぐ二人に、双鉄は苦笑いを浮かべた。
ポーレットに感じた母性も日々姫に感じた大人もその一瞬で消し飛んで、そこにいるのはごくごく当たり前に双鉄の知る少女たちに戻っていた。
(でも、さっきのが錯覚というわけでもないだろう)
双鉄の胸をドキリとさせる一面を彼女たちがもっており、双鉄がそこに『気づける』ようになってきた。そういうことだろう。
(僕はそういう面に極めて鈍感だったらしいからな)
先日ふかみの手作り弁当の味見訳を仰せつかった時、これなら彼女の祖父たちも喜んでくれるはずだと太鼓判を押すや否や日々姫と凪の二人がかりで「鈍感男」とステレオで批難されたのも苦い思い出だ。
(あの時の凪の手刀は痛かったな……)
日々姫と交代で機関助士を担当する凪の腕力は投炭訓練で日々増量中だ。
ともあれ。
「それで、ポーレット。その学習週間の予定なのだが、要は講習会のようなものを開くということでいいのか?」
「あ、それはですね……ちょっと待っててください」
双鉄からの質問に、ポーレットは日々姫とれいなを伴って彼から距離をとった。何をするのかと見れば、スマートフォンを取り出してどこかに電話をかけている。
これは少し時間がかかるかと判断した双鉄は、横に控えるハチロクに8620の運転台の方を指さした。
「ハチロク。8620を機関庫に戻す準備を」
「はい、双鉄様」
ハチロクと共に運転台に上がると、双鉄は機関士鞄から彼女の運転体を取り出してそっと床に横たわらせた。ハチロクはすぐにタブレットを交換して、意識を運転体へと切り替える。
「おっと」
運転体が瞼を上げるのと同時に倒れ込む整備体の華奢な身体を双鉄は抱きとめ、運転台の端に固定する。
本来レイルロオドの整備体は機関庫の専用席に座らせるものだが、御一夜鉄道では乗務中の機械的なトラブルに対処できるのがハチロクしかいないので、車外作業可能な整備体も同乗させなくてはならないのが現状だ。
(これも慣れてはいけないな)
ハチロクだけでなく、双鉄も鉄道機器自体の整備技能を磨かなければならない。
今日一日で浮き彫りになった問題点を反省し、初心に返るつもりで丁寧にお姫様を扱うように慎重に、決して転倒や落下などが起きないように整備体の姿勢を整える。
「よし」
「まあ。髪まで整えてもらって……ご丁寧にありがとうございます」
「うむ。機関庫に戻すだけなら日々姫の手は必要あるまい。あれにも今日は迷惑をかけた。あとは僕らだけでやろう」
「はい」
何が嬉しいのか、ハチロクがぴょんとその場で上下する。狭い運転台でも、運転体ならば跳び上がっても充分に余裕がある。
「わたくしたちだけ……良い響き」
「日々姫がどうかしたか?」
「はい。日々姫たち、お電話終わったようです」
しれっと言うハチロクに視線を誘導されると、スマートフォンを片手にポーレットたちが運転台の外にやってきていた。
双鉄が窓から身を乗り出すと、ポーレットが両腕を使って頭上に大きな「まる」を作る。
「オーケーです。稀咲たち……『淑女協定』参加者全員のスケジュールを確保しました。明日から一週間、双鉄くんの休憩時間にわたしたちが交代で『メリハリ』の講義を行います」
「講義か。それにしても、賑やかな話になったな」
『淑女協定』参加者全員参加となると、最低でも九人が双鉄の『やらかし』の影響を受けて動いてくれることになる。
それはありがたいことなのだが、ポーレットと日々姫の目が先ほどにも増して爛々と輝いているのが気になるところだ。停車状態の機関車の火室などよりもずっと熱く燃え盛っているように見える。
「それにしても一週間……火曜日もか? その日は運休で休憩時間そのものがないが」
「火曜日は真闇さんとナビちゃんの担当になりました。休日も広義の休憩時間ということで」
「ああ」
道理だ、と双鉄は納得する。
乗務後のススまみれの身体では、酒造の管理を行う真闇と接するのは憚られる。また、精密機械であるが故にススを嫌うナビもまた同様だ。
双鉄がうなずいていると、一番小さなれいなが一生懸命両手を突き上げて自分の存在を主張する。
「ちなみに、明日はれいなが当番なんですよぉ」
「そうか。それは楽しみだな」
「えへへぇ。れいな、お休みの過ごし方、そうてつさんにい〜っぱいお話しますねぇ」
にこにことれいなも上機嫌だ。
はからずも大人数を巻き込むことになった『やらかし』だが、れいなのように事件から始まる『非日常』を催し事として楽しんでくれるのならば、双鉄の申し訳なさもわずかだが軽くなる気がする。
双鉄にとっては事件の反省・集中講義という重い『非日常』。
れいなたちにとっては新鮮な講師役を楽しめるというお祭りのような『非日常』。
同じ『非日常』という単語でもプラスマイナス色々なものを表現できるのだと、双鉄は日ノ本語の奥深さに感心するしかない。
「では、明日からの予定はわかった。とりあえず、僕らは8620を機関庫に戻す。日々姫は先にあがって――日々姫?」
いつの間にやら日々姫が運転台に上がり込んでおり、双鉄は目をしばたたいた。
日々姫はススに汚れた顔で、しかし疲れを見せずに助士の定位置へとついて双鉄へと言葉を放つ。
「私、負けませんから」
「そ……そうか? ならば、がんばれ」
何にとは聞き難い雰囲気に、双鉄はそれでも激励を飛ばす。がんばるというのならば、達すべき目標があるということだ。義妹がやる気になっているなら、兄としては応援する以外の選択肢は無い。
「おまえが望んで、そして諦めず進むのならば、おのずと結果はついてこよう」
「あはっ!」
笑顔。
どこに笑う要素があったのかと首を傾げれば、日々姫は心底おかしそうに腹を抱えて笑い出す。
「あははは! な〜んでもなか。にぃにはいつだってにぃにぃなんだなって思っただけばい」
できぬのならばできるようになるまでやる。
できぬというのは、諦めた時だけ。
いつだって双鉄という青年は『そういう人間』だ。
故に。
「やってやるけん!」
「それでこそ、日々姫です」
目に見えて活力の増した日々姫の様子に、コクリとハチロクもうなずく。日々姫を眺めるその瞳は、人工物と言うにはあまりにも優しく、あまりにも温かい。
「もっとも、わたくしとしては、多少残念なところもあるのですが」
「どういうことだ?」
「それは双鉄様ご自身がお気づきにならなければ意味のないことですので」
「そうか」
ならばいつか必ず気づいてみせよう、と双鉄は自らも『できるまでやる』の精神を再確認する。
その努力の方向性として、彼女たちが用意してくれた学習週間は有意義なものになるに違いない。
だが、すべては明日からだ。
(今は今できることをやらねばな)
差し当たっては、すっかり待たせてしまった8620という巨大な相棒を、屋根のある母屋へと連れ帰ってやることを。
(機関庫は目と鼻の先。お客様もいない。だが――)
学んだこと実践するのに躊躇はない。
「んっ!」
「あ」
「にぃに」
パンッ、と双鉄は強めに自分の頬を叩いた。気持ちを意識的に乗務用に切り替えて、深呼吸。
「これより、8620を機関庫に戻す。日々姫、カマ。ハチロク、安全確認」
「「 了解! 」」
返る声は、双鉄が感心するほどに一瞬にして切り替わった職業人のものだ。
窓から身を乗り出したハチロクが手旗を持ったポーレットを見れば、心得たもので彼女は『ホームに問題なし・出発OK』の合図をくれる。客車の扉も、双鉄たちの反省会の間ずっと掃除をしてくれていた永山夫人が閉じてくれている。
準備は上々。
「双鉄様。ホーム、進行方向共に異常なし」
「うむ。逆転機、前進フルギア良し」
8620を前へと進めるため、双鉄は声を張り上げた。
細かな喚呼を怠らない。改めて、そのことを心に誓いながら。
「出発――進行!」
そして、右田双鉄の忙しい――本当に忙しかったと後に振り返ることになる激動の一週間は始まりを告げたのである。
『 右田双鉄居眠り事件』 了